「伝記」・「自伝」について
伝記(A Biography;自叙伝ともいわれる)とは、歴史上のある特定の人物を生涯にわたって著したものです。その内容にはその人物の誕生から、家庭環境(しばしば家系・ルーツを伴う)や生地の事柄、人物のパーソナリティや教育面、成長期における体験や人生の様々な側面における出来事、業績の記録や人間関係、そして死までの事実が、概ね時間軸に沿って記述されるものです。
一方、自伝(An Autobiography)は、特定の個人が自分自身の記憶や回想にもとづいた人生、その生涯を書き著したもの(セルフ・ドキュメンテーション)です。古代ギリシアやローマでは、かつて”apologia(アポロギア)”と称され、他者による視点や客観的な資料にあたったものでないため、(その多くは政治的な言動の)自己弁護や自己正当化の書とも言われていました。アウグスティヌスの様に、「Confession」と信仰の告白を本願とする者もいました。
また「評伝」とは、人物評をまじえた伝記であり、「回顧録」とは、人生や生涯といった長いスパンでなく、自伝よりも短期間、つまり特定の事象・事件と時間的に狭く限られるものとされ、日記や手紙類が基本資料となり見解や立場が述べられるものです。
「伝記」・「自伝」とも近世までに西欧・イスラム圏、インド・東アジアでそれぞれの発展をみます(中国の司馬遷の『史記』最終章「太子公自序」は自伝を含めるものだった様に)。「現代の伝記」(モダン・バイオグラフィー)のスタイルは、18世紀後半になってから登場したもので、最初期のものは、サミュエル・ジョンソンが著した『Critical Lives of the Poets』(1779-81)と、ジェイムズ・ボズウェル著『Life of Johnson』(1791)と言われています。新大陸アメリカでも、同じ頃にベンジャミン・フランクリンの「自伝」(1791)が出版され、アメリカにおける成功物語を伝える原型になったといわれ、とくにアメリカでは「自伝」はこれより影響力のある出版物であり続けています。
日本における最も著名な最初期の自伝は、新井白石の『折りたく柴の記』(1716~20)です。近世の自伝の最初のものを著したチェルリーニよりも1世紀程後のことでしたが、現代に通じる近代の自伝『告白』(ジャン・ジャック・ルソー著)よりも半世紀早いものでした。また有名な福澤諭吉の『福翁自伝』は、口述筆記の方法で著されたものでした(外国人から明治維新期の体験談についてインタビューを受け、多忙な福澤は口述筆記の方法を思いついた。福澤諭吉は尊敬するベンジャミン・フランクリンの「自伝」を読んでおりその「自伝」を模倣したとも言われている)。
一世風靡するようになる新大陸アメリカの伝記スタイルは、英国のトーマス・カーライル流の「伝記は歴史の一部である」という考えにもとづいたものでした。「偉大な人物の人生は、その時代の社会や機構を理解するために重要なものである」、これがトーマス・カーライルの主張でした。
欧米の伝記出版の大きな転換点は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての印刷技術(とりわけ廉価なペーパーバック版)の急速な進歩と大衆の出現にありました。読者は急増し、伝記の対象は、従来の政治的リーダーを中心とする国家的偉人一極は過去のものになります。また20世紀初頭は、自伝のルネッサンスともなりました。ブッカー・ワシントンの『Up From Slavery』(1901)やヘンリー・アダムズの『教育-Education』(1907)が刊行されるにともない、新たな学問分野でもある「心理学」や「社会学」の側面から「伝記・自伝」が注目されるようになります。そしてなんといっても「精神分析学」の隆盛は、執筆の対象となる人物の日常的習慣や精神的特徴、体験や思考傾向だけでなく、 その人物の「幼少期」や「青年期」の環境や出来事に大きな光をあてることになったのです。とくにアメリカの「自伝文化-a culture of autobiography」とでもいうべき現象は、自己の記憶や体験を物語ることは<セラピー>となる、「パーソナリティ」は心理学的探求に値するという精神心理学者の思惑を映し出したものでした。
その一方、今日にみられるの様々な分野の有名人の「伝記・自伝」は、大衆の覗き趣味、好奇心を煽るものともなっていますが、この「ポピュラー・バイオグラフィー」の源流もまた、1920年代の「伝記ブーム」にあるといわれます。アメリカで伝記の辞書が初めて刊行されたのは、1929年、世界大恐慌の最中でした。またドイツでは哲学者ゲオルク・ミッシュが『自伝の歴史』(1907~69)に取り組んでいます。フランスでは人間の<自己認識>の具体例として「自伝」は研究される傾向があり、それぞれの国柄・文化の違いが、「伝記・自伝」にも反映されているようです。