マーク・ボランの「マインド・ツリー(心の樹)

df イースト・ロンドンのユダヤ貧困コミュニティに育つ   dftop df(2)df(3)

  

 

 

 

 

 

 

  

 はじめに:

 世界が大きく変転した1968年、彗星のようにあらわれ、1977年、30歳目前にして
 彗星のように逝ってしまったマーク・ボラン。グラム・ロックを切り開いた
 「T-Rex」のヴォーカルでギタリストだったマーク・ボラン自身は、自分の音楽
 を「コズミック・ロック(Cosmic Rock)」と呼んでいました。霊的感覚が高かっ
 たともいわれるマークは、パリに行き魔術を学んでいたこともあるようです。
 30歳まで生きられないかもしれないという予感をもっていたといいます。

 1962年に雑誌「タウン」は、マークを「キング・オブ・モッズ」として紹介する
 ほどに、ファッション感覚やメイクに敏感で、そこに宇宙感覚やキャンプ感覚を
 搭載したため、「グラム・ロック」ムーブメントを点火させました。古いSF映画
 に登場するようなきらびやかな衣装を身に纏った「グラム・ロック」の主人公た
 ちは、”宇宙”からのエージェントです。
 デビュー・アルバム「ティラノザウルス・レックス登場」(1968年)は、『ナル
 ニア国物語』から生み出されました。ますます奇々怪々なマーク・ボランとはい
 ったいどんな地球人だったのか、それとも”宇宙”からの使者(あるいは魔法使い)
 
だったのか、一緒にマーク・ボランの「マインド・ツリー(心の樹)」をのぞい
 てみましょう。

 

 4代が暮らしたイースト・ロンドン。ユダヤ人コミュニティで育つ

 マーク・ボラン(本名:マーク・フェルド Mark Feld)は、1947年9月30日、イースト・
 ロンドンのハックニー病院で誕生し ます。父シメオン・フェルド(通称シド)
 はトラック運転手でした。マーク(以降、ファーストネームで略記)が生まれ育ったの
 はイースト・ロンドンに位置するハックネイ。そしてイースト・ロンドンは、
 フェルド一家4代が住み暮らした場所でした。最初にこの地にやって来たのは
 マークの曾祖父で、ロシアで起こった「ポグロム(ユダヤ人迫害)」を逃れてやっ
 て来ています。流入してきたユダヤ人たちは寄り集まりコミュニティをつくり、
 マークの曾祖父もそのコミュニティのなかで暮らしていたといわれています。
 イースト・ロンドンにあるマークの生家は、4路線の地下鉄が乗り入れるリヴァ
 プール・ストリート駅から5つ目のレクトリー・ロード駅近くにあります。この
 駅周辺はマークが生まれ育った頃とはまったく環境が変わり、ロンドン近郊でお
 こなわれた多くの再開発計画に組み込まれなかったため、都市型の荒廃にみまわ
 れているようです。

 両親、貧困の中で新婚生活。子供は居間が寝室代わり

 第二次世界大戦が終焉した年、1945年に父シドは、フィリスと結婚しています。
 2人が新婚生活をスタートさせたのは、ヴィクトリア朝後期に建てられたネズミ
 が出没するほどの古いアパートメント(ゴシック・スタイルの飾りがついていた)、給湯
 設備もそなわっていませんでした。あまりに狭かったため、生まれた子供たちは
 居間を寝室代わりにしていました。後のロックスター、マーク・ボランも当時の
 ことが深く記憶されているはずです。
 イースト・ロンドンにやって来たユダヤ人たちは、もともと貧困の中に暮らして
 いた者が多く、ほとんどが身ひとつで流れ込んできていました。フェルド家のよ
 うに曾祖父から父シドまで2世代たっても貧困のままだったユダヤ人は数多く存
 在していました(当時、ナチスのホロコーストもあれば、ナチスによるロンドン空襲も
 あった)
。マーク・ボランはポーランド系のロシア人の血を引くユダヤ人だった
 のです。

 家族について決して語らなかったマーク

 マークは後年、自身、労働者階級出身だったとよく語っていました。しばしば
 ロックンローラーは、そのワイルドさを強調するため自分の出身階級を偽ったり
 するものですが、マークの場合、労働者階級の中でも下層の方だったようです。
 そのためかマークが家族について語ることはほとんどありませんでした。同じく
 グラム・ロックのスター、デビッド・ボウイや、シド・ヴィシャス、ジョン・ラ
 イドン、ジョー・ストラマーらパンク・ローカーですら家族や幼少期について今
 では多くのことがわかっているのに、マーク・ボランの家族や幼少期についてわ
 かっていることはかなり限られます。世代的なこともあるかと思いますが、とり
 わけ母フィリスのことはまったく漏れ聞こえてきません(フィリスはユダヤ人ではあり
 ませんでした)

マーク自身が家庭について語ったことといえば、「まったく制約のない家庭だった」という一言です。それは家庭崩壊していたケイト・モスが、「13歳の時には、両親の前でお酒もタバコもやれたほど自由だったのよ」と語った言葉がどこか響きます。

 マンガやお伽噺、ラジオの放送劇が大好きだった。
 ”登場人物”になりきって夢中になる

 5歳の時(1952年)、マークは歴史のあるノースウォルド・プライマリー・スク
 ール(初等学校)に入学しています。石造りの門がある幾多の歴史をとおり抜けて
 きた古い学校でした。学校生活にもすぐにとけこみ、友達にも人気のある陽気で
 愉快な少年だったといいます。兄のハリー・フェルドによれば、マークはマンガ
 やお伽噺、ラジオの放送劇など、「想像力」を刺激するものが大好きで、本であ
 れ劇であれ(後に映画も)、その中の登場人物になりきって遊ぶのに夢中になって
 いたそうです。大戦前後はとくに娯楽にことかくのがふつうだった時代、新たに
 目にするもの耳にするものはほとんどの子供にとって好奇の対象だったとおも
 われますが、マークの場合は、その中の”登場人物”になりきって夢中になって
 遊びつづけることができる、という際立った感性があったようです。
 このことは、後のマーク・ボランの「マインド・ツリー(心の樹)」を形づくる
 感性や人間のタイプ=「種(しゅ)」のようなものがすでにこの時期にあらわ
 れていたととらえることも可能です。

 アルバム『「ティラノザウルス・レックス登場」は、
 『ナルニア国物語』の中の”住民”に捧げられた

 本名のマーク・フェルドとちがい、「マーク・ボラン」とは、まさしく、マー
 ク・フェルドという一人の男が想像する「物語=ティラノザウルス・レックス」
 の中の主人公、”登場人物”なのです。実際、1968年にリリースされたアルバム
 「ティラノザウルス・レックス登場」では、マークはこのアルバムを、C.S.ルイ
 スが生みだした『ナルニア国物語』の住民に捧げています。
 おそらくマーク・フェルド少年は、かつて『ナルニア国物語』の中で、その住民
 と一緒に”登場人物”になりきって夢中になって遊んだはずです。
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