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工務局での勤務、翻訳、そして小説の執筆▶フョードルは工兵学校を21歳で卒業後、サンクト・ペテルブルグの工務局に勤務します。まだ叙事詩形式だったゴーゴリの『死せる魂』を最初から最後まで暗唱したのはこの頃のことでした。またバルザックをフランス最高の作家とみなし愛読しています。読むだけでなく『ウージェニー・グランデ』やジョルジュ=サンド『アルビーニの最後』の翻訳にとりくんでいました。しかし、翻訳の仕事では先がなかなかみえてきません。
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労働者の言葉を集めノートにとる1840年代末には「シベリア・ノート」にみられるようにロシア精神の歴史についての具体的、学問的な知識に基づいた思索はドストエフスキーに内在していた。「シベリア・ノート」はナロードの言葉を集めた早い時期の資料として現代の研究者から高く評価されている。ところがそれ以降の3年間は書き上げた10編もの作品はまったく評判にならずストエフスキーは心理的にも平衡感覚を失っていきます。1848年(27歳)、前年から顔を出していたペトラシェフスキーを中心に開かれていた文学と政治的会合のなかでも最も急進的なメンバーと武装蜂起まで視野に入れた結社をつくります。そして翌年春に捜査・逮捕され収監。半年後に銃殺刑の判決を受けました。翌月、死刑執行直前に特赦されました。その後、足枷をはめられ遠くシベリアの地に送られました。そして4年間にわたって懲役を課せられ、さらに向こう5年間の軍隊生活をおくることになります。1859年、38歳の時にペテルブルグに帰還しました。『罪と罰』を構想するのは、それから6年後のことでした。
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| 1830年代のロシア文学は、詩(叙事詩)から散文(長編小説)への移行が顕著にみられました。詩の形式に則ったプーシキンの長編小説『オネーギン』(1831)は、その流れの中で書かれたものです。文学の地殻変動期だった。 ゴーゴリも文学の大変動を鋭く感じ取り、文学の中に何か新たな誕生を示すものがあるとよんでいた。『ネフスキイ大通り』はその結実である。このようにドストエフスキーの工兵学校時代は、叙事詩から長編小説への動きがかさなっている。まさにロシア文学の革命期にあたっていた。構成的にはプロットを結合しながら語り手の助けを借りて、複合プロットを主人公のまわりに配列していく方法だった。散文時代の幕開けによって文学の対象も大きく変化しました。貴族の生活から、都市の住民の生活へとテーマが激変した時代でした。 |


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