フェデリコ・フェリーニの「マインド・ツリー(心の樹)」

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 毎夏に訪れた祖母の家と土地が幻想世界の源泉に     Top (2)(3)

                              

 

 

 

 

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フェリーニが生まれ育ったリミニの町

 

 


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映画『青春群像』より

 

 

 

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はじめに

フェリーニ映画は、今わたしたちが見馴れている映画の<世界の立て方>とはずいぶんと異なっています。映画『8 1/2』や『道化師』や『アマルコルド』などに登場し映画に幻想性と魅力を与えているサーカスやカーニバル、大道芸人そのものが、フェリーニ映画の世界の立て方になっています。「映画は<サーカス>にたいへんよく似ている」と語るフェリーニですが、当初は描いていた風刺漫画が認められ、ユーモア紙で編集の仕事をしていました。ボヘミアン的な生活を送り、20代半ばで結婚してからは、仲間と2人で似顔絵を即席で描く「似顔絵漫画屋」を開き、あちこちの通りに支店を開いていました。

ロベルト・ロッセリーニ監督が映画「無防備都市」の制作で、フェリーニに手を貸してもらうために店を訪れたという、ネオレアリズモ誕生の第一ページを飾る有名なエピソードがありますが、ロッセリーニ監督が訪れたのはその「似顔絵漫画屋」だったのです。

それからフェリーニが世界的映画監督になるまではまるで「サーカス」のようです。そしてフェリーニは映画に、ネオリアリスモの刺激と影響を受けつつも独自の映画観を打ち立てました。傑作と言われるフェリーニの映画のなかにこめられたのは自身の少年時代の「心の樹」だったのです。

父は地元では”商人の貴公子”と呼ばれるほど商い上手だった

フェデリコ・フェリーニは、1920年1月20日、北イタリアのアドリア海に面した漁業と歴史遺産の街リミニ(現在人口約14万人。サンマリノ共和国への入口の街ともなっている)のダルダネッリ街のアパートでに生まれています。フェリーニ神話の扉には、リミニ近郊を走行中の列車の一等客車で産声を上げた、とかつて記されてきましたが(フェリーニ映画を好んだ寺山修司はまさにこのフェリーニ神話を流用して自身も走行中の列車の中で誕生したと出生の書き換えをおこなったにちがいありません)、その日は鉄道のストライキ日で、列車の運行はありませんでした。後の映画の魔術師は、一等客車内ではなく両親のアパートで、小さな足の方からそろりとこの世に生まれ出ようとしたのでした。ところが頭から出ようとしなかったために(逆子で難産だった)、結局けたたましいほどの産声が近隣に響きわたることになったようです。フェデリコという名前は、イタリアが第一次大戦でまさに勝利した日に、地雷を踏んで不運な死をとげてしまった父方の叔父フェデリコにちなんで名づけられました。

父ウルバーノ・フェリーニは、ローマ北東のガンベットラ村に生まれました。第一次世界大戦の始まる直前に、後のフェリーニ少年と同じように、田舎に嫌気がさして新天地を求めてローマに出ています。ローマのテルミニ駅近くの下宿屋に暮らしていた時、イーダ・バルビアーニと出会います。イーダは美人で生粋のローマっ子でした(ミラノ出身の父とローマで7代続いた家柄の母の間に誕生)。2人は燃え上がるように恋に落ちます。ただ実際には田舎者のウルバーノは機知に富んでいて雄弁で、つまり口が達者で、2人の間に共通点はほとんどなかったにもかかわらず恋を実らせてしまったというわけです。イーダの両親は2人の結婚には反対で、イーダもどちらかというとふだんはあまり人と打ち解けず禁欲的ですらあった性格だったのですが、あれよされよという間に電撃結婚までもちこんでしまいます。ウルバーノは神父にもうまいこと計らっていたようで、すでに父親にして「恋の魔術師」だったようです。イーダの両親が乗り込んでくる前に、ウルバーノはイーダを口車に乗せるようにしてガンベットラへと駆け落ちしていきました。

翌年リミニに移り住み、その地で息子フェデリコ(・フェリーニ)が誕生することになります。リミニではウルバーノは、食料品などの卸売りの代理店をもつことになりますが、持ち前の頭の回転の良さと雄弁さと行動力で、地元では”商人の貴公子”というニックネームがつくほどに商いに天才的手腕を発揮します。たびたび海外にも出張し珍しい商品をどんどん商うようになり、「ヴェニスの商人」ならぬ「リミニの商人」の顔のような存在になっていったのです。

いつも独りで絵を描いていた大人しい子供だった

フェリーニは、映画『青春群像』に登場する羽目をはずす若者のように、快活で悪戯好きな少年だったようにおもわれますが、まったく逆で、幼少時代から少年時代にかけとても大人しく、内省的で孤独を好むような少年だったといいます。いつもどこにいても独りで絵を描いていたり、少し大きくなると独りであれこれ考えて人形芝居をしてみたり、何時間でも独りで空想して遊ぶような子供でした。

『青春群像』に登場するような、いつも大人たちを困らせていたのは弟のリッカルドの方でした。リッカルドは絵に描いたような腕白少年で悪戯好きでした。後にローマに出た弟リッカルドは自慢の歌声をいかして歌手になるか、俳優になるかの夢を追いつつ、映画の端役として出演したりしています(その頃、フェリーニは、弁護士になって欲しいという母の願いを受けるように大学の法学部に登録しています)

毎夏に訪れた祖母の家が幻想世界の源泉に

5歳の時、フェリーニはリミニにある擁護院付属小学校に通います。2年目からは公立の小学校に転校します。この頃に、フェリーニ少年の「マインド・ツリー(心の樹)」は、年を追うようにかたちをなしていきました。季節のように毎年、フェリーニ少年に訪れるものとなっていました。それは毎年の夏に父方の祖母の家で過ごすことだったのです。祖母の家は、前世紀の風俗習慣が色濃く残る田舎で、今まで聞いたこともないような意味不明の方言が日常的に交わされていたのです。道端で出くわす奇妙な人々は、どこかユーモラスで、その土地はフェリーニ少年にとって神秘に満ちた別世界だったのです。後のフェリーニの映画を特徴づける「幻想世界」は、毎夏に祖母の家で過ごした経験が源泉になっているのです。

はじめて見たサーカスの道化芝居

祖母の家がある土地が醸し出す幻想的風土がフェリーニの「マインド・イメージ」を形成しはじめている時、決定的な出来事を体験します。「サーカスの道化芝居」を見たのです。フェリーニの芝居っ気のある記憶によれば、それは7歳の時、初めて家出をした時に巡回サーカス一座と出くわし、一座が巡る間ずっと追いかけて何日も一緒に過ごしたようです(この家出は母から否定されていますが、フェリーニ自身は似たような体験があったんだと繰り返し発言していました)

とにかくフェリーニの映画では、そのものずばりのタイトルの『道化師』だけでなく有名な映画や『8・1/2』や『魂のジュリエッタ』、『フェリーニのローマ』など「サーカスの道化芝居」は、フェリーニの映画を理解するためのキー概念になっていることはよく知られています。数多くのフェリーニ映画の傑作の不可欠の要素が、<少年時代の体験>に源流があったことがわかれば、フェリーニ映画をよりよく知るための重要な<鍵>を手にしたも同然です。フェリーニにとって現実空間は、巨大なサーカス小屋で、翻って「サーカスの道化芝居」はそれを凝集させたものとみることもできます。そして人生そのものが悲哀と神秘に満ちたサーカスであり、映画製作そのものが憂愁と歓喜に満ちたサーカスだとフェリーニの映画は語りかけてきます。
フェリーニが、現実世界のなかにあっても時に虚実が入り交じった道化じみた発言をしていたのもそうした世界観のなかに生きているからなのです。「もし映画監督になっていなかったらサーカスの団長になっていただろう」と語るフェリーニにしてみれば消え行くサーカスの代理人のような感覚になったとしてもおかしくはありません。
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