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マドンナの「マインド・ツリー(心の樹)

df デトロイト郊外の敬虔なカトリックの家に生まれる        df(2)df(3)df(4)

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 はじめに:「夢」と「第二の夢(セカンド・ドリーム)」について

 21世紀に入った現在もクイーン・オブ・ポップとして君臨し続けるマドンナ。
 デトロイト郊外の篤い信仰心に包まれたイタリア移民の家庭に誕生した一人の
 少女が、どのようにして世界を揺るがせる稀代のセックス・アイコンになった
 のでしょうか。草食系男子を震撼させるセンシュアル(官能的)にして、スピ
 リチュアル(精神性)大好きといういっけん矛盾に満ちた「現代」の女性たち。
 その現代女性の謎を解く<コード>をマドンナがもっている(帯びている)とす
 れば、おおいに気になってくるのではないでしょうか。そしてマドンナ自身も、
 その秘密の<コード>を最初から我がものにし音楽やステージ上であらわして
 いたわけではなく、自身の「心の樹」の成長にともなって、<身体表現>した
 ものに表象されていったようです。

 マドンナは22歳まで、モダンダンス界の巨匠マーサ・グラハムや黒人振付け師
 ポール・ラングを師とし、モダンダンス界になんとしても潜りこんで芽をだそ
 うと懸命にレッスンをしていた若手ダンサーの一人にすぎませんでした。ステ
 ージの上のダンサー。それが青年期のマドンナの「夢」だったのです。
 しかし自身の魂がもっとも深く、もっとも自由に感じえる本当の「夢」は、そ
 の最初の「夢」でなく、自身のさまざまな体験や困難から湧いたインスピレー
 ションを通じてもたらされた「第二の夢(セカンド・ドリーム)」にあったの
 です。つまり「第二の夢」は、「第一の夢」がもう一つの次元へと変貌し、
 <エディット(編集)>された夢だったのです。

 「夢」は編集できる。「第二の夢(セカンド・ドリーム)」とは、たんに少年少
 女期の「夢」に意固地に固執せずに「夢」を体験と「ヒラメキ」によって自由
 度を与えていった結果としての「夢」なのです。諦めない「夢」のもう一つの
 かたちともいえるかもしれません。
 その興味深い例をマドンナの「マインド・ツリー」を通して、感じとってみま
 しょう。「マインド・ツリー」の方法とは、特定の人物の成長や成功の奇跡を
 たんに確認するためのものでなく、あくまでも一人ひとりの<魂の成長>のた
 めの多様な方法と冒険を記した<魂の地図>なのです。

 

 

 イタリア系移民チッコーネ家の3人目の子供、デトロイト郊外に誕生

 マドンナ・チッコーネ(本名:マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネ)
 1958年8月16日、イタリア系移民チッコーネ家の3人目の子供として(移民2世
 の娘)
、ミシガン州デトロイトのすぐ北に位置するポンティアックという町に誕
 生しています。ポンティアックという町名の通り、ゴールデン・フィフティー
 ズと呼ばれた1950年代に、まさにデトロイト自動車産業が生み出した自動車の
 町でした。まわりには街路樹も何もなく、ひたすら自動車が走る道路と広い畑が
 ひろがっているばかりだったといいます。

 クリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ」に描かれた、同じくデトロ
 イト郊外の元自動工の主人公がきっと若い頃に暮らしていたような町だったのか
 もしれません。映画の中に登場する東アジアから移民できたモン族のように、チ
 ッコーネ家も2世代前にはイタリアから船でやってきた移民でした。祖父ガエタ
 ーノ・チッコーネはイタリアのアブルッツォ地方の小さな村の小作農民です。
 苦労しながら学校に通い勉強しますがよい職をみつけられず、意を決してアメリ
 カに渡ります(イタリア系移民は貧困層の出身が多かったといわれている)
 そしてピッツバーグ郊外にある鉄鋼業の町アリキッパで、溶鉱炉の作業場の仕事
 を見つけ、新妻ミケリーナをイタリアから迎え入れます。生まれた6人の息子の
 うち5人は製鉄所で働き、後にマドンナの父となる末っ子トニーだけが大学に進
 んでいます。トニーは小柄でもの静かな性格だったといいます。祖父は自家製ワ
 インを造り始めると、日々の苦労を紛らわそうと酒におぼれ、祖母とともにアル
 コール依存症になっています。

 

 

 

 

 父は軍需メーカーのエンジニア。母はマドンナそっくりの顔のつくり

 大学を卒業した父トニーはアメリカ空軍基地で兵役に就いています。その後、ペ
 ンシルヴァニア州のカトリック系のジュネーブ・カレッジの工学部に入学。卒業
 後、大手軍需メーカーのゼネラル・ダイナミックス社で光学や防衛技術関連のエ
 ンジニアとして働きだしました。トニーは大学の友人の結婚式でマドンナの母と
 なるフランス系カナダ人の子孫マドンナ・フォーティンと出会います。フォーテ
 ィン家は代々、農場経営と林業の事業を営み、祖父ウィラードは建設会社の幹部
 に。祖父の8人の子供は皆敬虔なカトリック信者でした。

 顔の造作が娘マドンナとそっくりだった母マドンナ・フォーティンはレントゲン
 技師として働いていました。2人はトニーが大学を卒業した後に結婚。1956年に
 長男アンソニー、翌57年に次男マーティン、翌58年にマドンナが誕生。3人とも
 口数が多く喧嘩ばかりして、ものも散らかし放題だったようですが、母マドンナ
 はしつけには甘く怒ることもほとんどなかったといいます。後にマドンナが男性
 に対し負けん気な態度をみせ、時に小バカにするのは子供の頃の”兄妹3人戦
 争”の名残りのようです。兄妹間の対抗心は成長してもつづいていったといいま
 す。
 こうしてマドンナの「マインド・ツリー(心の樹)」は、デトロイトの自動車
 製造のために開発されただだった広い土地に、無理やり植林され”根づけ”さ
 れたような環境の中、ウルサく喧嘩っ早い兄弟とともに育っていきます。

 チッコーネ家は、母を中心に敬虔なカトリック教徒だった

 しかしそのいっけん殺風景な土地ながら、心の土壌は母マドンナによって耕され
 ていました。母はカナダのフランス語圏に浸透していたジャンセニズム(カトリ
 シズムでありながらピューリタン的要素をもつ)
の敬虔な信者でした。聖金曜日に
 なると母マドンナは紫色の布で家中の宗教画や彫像を覆い隠したといいます。
 フロントジッパーがついたジーンズを履いた女性が家に来ると、イエスの聖心像
 を布で覆い隠すほどでした。フロントジッパー付きのジーンズは神への冒瀆だっ
 たのです。マドンナは父からのイタリアのカトリック信仰と厳しい道徳主義を説
 いたフランスのジャンセニズムと両方のカトリックから影響を受けています。
 少なくともデトロイト郊外のチッコーネ家の心の土壌は、神聖な雰囲気で満ちて
 いました。マドンナは母を、信仰と家族に身を捧げた「殉教者」として母を感じ
 ています。信心深い母からおおきな影響をもらっていると、マドンナは語ってい
 ます。

 

 

 5歳の時、母マドンナ、乳癌で死去

 母マドンナは、娘マドンナを生んだ翌59年に妹ポーラ、60年に弟クリストファ
 ー、62年に妹メラニーと次々と子供を生みます。妹メラニーの妊娠中、母マドン
 ナは乳癌と診断されました。母はレントゲン技師だったため、当時はまだ防護エ
 プロンがなかったためといわれています。出産後にすぐ手術にかかりましたがそ
 の後1年闘病生活を送らざるをえなかったため、子供たちは親戚の家に預けられ
 ています。その後、家に戻り家事をしたり子供たちの世話をしますが、病状が悪
 化、1963年12月、30歳で死去しました。娘マドンナは5歳でした。
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