映画の中に「写真」を読む ⚐
映画『8月のクリスマス』Christmas in August(1998)
監督 ホ・ジノ
主演 ハン・ソッキュ、シム・ウナ
ペクサン(百想)芸術大賞作品賞・新人監督賞・主演女優賞受賞
韓国映画評論家協会賞最優秀作品賞・最優秀監督賞受賞
青龍映画賞最優秀作品賞・最優秀監督賞受賞
ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ゆうばりファンタランド女王賞
韓国で世界に名の知れるようになった写真家は、裴炳宇(ペー・ビョンウー)や具本昌(クー・ボンチャン)ら僅かだが(註1)、映画界における「写真」の用い方のセンスは、昨今世界的に名の知れた写真家が大勢活躍する日本よりも巧みである。そうした映画が一九九○年後半以降、とくにキム・ギドク監督の映画にみられるように何本も生まれている。本作品もそのひとつに数えられよう。「8月のクリスマス」—。いくら季節感の乏しくなった昨今とはいえ、〈夏のスノボー〉のようなどこかひとをくったようなタイトルに怖れをなし、初見はずいぶん後になってからのことだった。観終わると〈春の雪〉のようなあえかな時・の秘密に触れえた気がしたことを思い出す。この作品が初監督となるホ・ジノ監督は、著名な歌手だったキム・グァンソク(註2)の葬式に掲げられた微笑んだ。遺影」が作品の大きなインスピレーションとなり、本作品のキーイメージとなったと語っている。そして主人公を写真館の撮影技士とし、近く死を迎える彼が自らの微笑んだ「遺影」を撮影する、という物語をつくりだした。「8月のクリスマス」というタイトルには、死という悲しみと微笑みという対極の感覚を一つにしたイメージがこめられていたのだ(註3)。
ところが、その微笑みの「遺影」の他に、もう一点の「写真」がエンディング真近に組み込まれることになった。その「写真」が大きな意味をもち、この映画フィルムの中に美しい時・を刻み込むことに成功する。それがまるで夏に粉雪が舞うような小さな〈奇蹟〉をみる思いにさせられるのだ。私は、「8月のクリスマス」というシュールなタイトルの意味するところは、〈奇蹟〉だと想像する。「〈奇蹟〉は外からやって来る」とはジャン・コクトーの直感だったが、この映画の〈奇蹟〉の兆しも外からやって来た。それは若く美しい女性タリム(シム・ウナ)だった。映画のはじまりの時は、8月だ。写真館の向かいにある一本の街路樹のように〈生〉で溢れかえる月である。それなのに撮影技士ジョンウォン(ハン・ソッキュ)は病院の待ち合い室にいる。不安なのだろうが、ふっと子供に微笑む。その微笑みにジョンウォンの人柄が自然に滲にじみでる。自身の躰の不安を押しとどめて思わず零こぼれる笑みは本作品の全編に通じる。
ある日の午後、8月の陽光から逃げるように若く美しい女性タリム(路上駐車違反取締りの仕事をしている)が写真館を訪れる。人生の陰にいるジョンウォンにとって、タリムは光と生に溢れた8月そのものだ。タリムは当初、駐車違反車を撮影したフィルムを緊急に現像するために立ち寄っていたが、次第に日溜まりのようなジョンウォンに惹かれていく。けれども韓国男性の〈真昼の決闘〉のような熱血とは異なるジョンウォンの微笑みと穏やかさが〈死との静かな葛藤〉からくるものであることをタリムは知らない。 じつはジョンウォンは初恋の相手ジウォンの学生時代の「写真」を額装して店先に飾っていた。同時に写っている隣に妹がいたので一○年近くも続く片思いをカモフラージュしえていたのだ。実際には妹は兄の当時の教科書にジウォンの写真が挟んであるのを知っていたので、沓とうに兄の恋心は知っていた。結婚して街を離れていたジウォンが久しぶりに街に戻ってくる。写真館を訪れた彼女にまだ消えていない自分のおもいをジョンウォンはそれとなく告げるが、恋は思い出の中にしかないことに気づかされる。ジウォンから自分が写っている「写真」をすべて捨てて欲しいと告げられたのだ。異性との関係が切れる時、「写真」の処分が実行される(女性の場合は確実に。男性の場合は不確実に)。店先のその「写真」が撤去されることで、その場所に空位が生まれ、新たな「写真」を向かえ入れることになる。
ジョンウォンは店の窓から一本の街路樹をよく眺める。盛夏から秋、冬にかけて移り変わる街路樹の自然の姿に、自身の運命をシンボリックに感受する。街路樹の紅葉が落ちはじめた頃、ジョンウォンは”死”が確実に真近に迫っていることを病院で告げられる。友人を誘い出し飲めない酒を飲み夜遅くまで騒ぐシーンや、ビデオ操作ができない父親につい声を荒げてしまうシーンに死との静かな葛藤をみる。父が独り観るレンタルビデオの「地上ここより永遠とわに」を通し逆に家族の思いが伝わってくる。死を宣告されて後の生となれば、黒澤明監督の名作『生きる』をつい思い出してしまうが、ホ・ジノ監督は、日本の映画のなかでは小津安二郎、とくに『東京物語』のファンらしい。なるほどこの作品の主人公は、死を目前に『生きる』のように突然、意を決して公園をつくるような人並みはずれた行動をとることはない。彼にとっては写真館の主人としての撮影の仕事をこなし、きわめて淡々とした日常を送るのみなのだ。その意味でこの作品は声高に感情をぶつけあい吐露する韓国映画には珍しい部類に入るといっていいし、日本人監督長崎俊一をしてリメイクさせるにいたった作品ということも頷けよう(註4)。

さて、病院に運びこまれたジョンウォンだが友人たちやタリムに連絡をとろうとはしない。とくにタリムを前にすれば生への欲望に突き動かされ、悲しみに耐えることができないと感じていたのだ。留守になった写真館を何度も何度も訪れるタリムの健気な姿は胸を打つ。扉の隙間から手紙を押し入れる必死の思いは、ケイタイでお手軽に直接につながろうとする昨今からは、もはや神話の領域かもしれない。
一時退院したジョンウォンは身辺整理をはじめる。現像機の手順を紙にしたためたり(ビデオと同様に機械が苦手な父親のためか、代役で勤める者のために)、タリムへの手紙を書いたり、タリムが写っているプリントを死後、店頭に飾ってくれるよう遺言書を残す。最後に自分の遺影となる写真を探すが自分のフォトアルバムには相当する写真がない。自ら遺影を撮るしかない。以前遺影を注文するために来店したお婆さんに微笑みを願ったことを思い出したのだろう。誰もいない写真館の中でカメラに向かい独り微笑む。歌手キム・グァンソクの遺影の微笑に、この映画のキーイメージを見い出したという監督の言葉がここに共鳴する。ジョンウォンの遺影は、まさに遺影なのだが、ジョンウォンが夏に撮った微笑むタリムのポートレイト写真はもちろん「遺影」ではない。いったいあのタリムが微笑む「写真」とは何なのだろうか。
死後の世界の人間(=幽霊)を描き、スクリーンに登場させる方法がハリウッド映画では盛んであるが(『ゴースト』など)、この映画はそうした見えないものを見えるようにCGを駆使するホラーファンタジーには背を向けている。ジョンウォンが語ったおならをし臭いを残した幽霊の話しは、ユーモアを通してジョンウォンの気持ちを仮託する。そして幽霊のおならの話しは、タリムに以心伝心する(彼女が仕事の先輩に同じ話をすることから分かる)。そのことを私たち観客が知っていればこそ、エンディングの写真館に飾るられた自身の「写真」を見る微笑むタリムの姿に胸を打つのだ。ジョンウォンが選んだのは、まだ化粧っ気もない8月のタリムの写真だった。それはモノクームの写真でなくてはならない(註5)。二人の時がそこに感じとられるから。カラーでは生と〈色(欲)〉が強く出すぎる。タリムへの思いも、〈色〉に邪魔されて逆に届かなくなる。その時、ジョンウォンは幽霊となって、透明人間となってタリムの姿を見ている、そんな余韻の中、ジョンウォンのナレーションが入る。「僕の記憶にある写真のように愛もやがて思い出と変わると思ってました。でも君だけは思い出ではありません。愛を胸に秘めたまま旅立たせてくれた君にありがとうの言葉を残します」と。このナレーションはジョンウォンの死後タリムに送られた手紙文であろう。だからエンディングでタリムは黒色のコートを身に纏まとって、独りジョンウォンの温もりが幽かすかに残る写真館を訪れたのだ。教会の鐘の音が響く。その日はクリスマスの日なのだ。
ふと思ったが、店先に飾られた「写真」がなぜジョンウォン自身の微笑んだ「遺影」でなかったのだろう。葬儀に用い、さらにもう一度用いれば、一見、その方がホ・ジノ監督の当初の意図が前面にしっかり出る気がするが。しかし、もしそのかたちであったら、エンディングの夏の粉雪のような、心に滲みいる小さな〈奇蹟〉を感じうることはなかったはずだ。写真館の前でタリムが出会わなければならなかったのは、ジョンウォンの「遺影」ではなく、ジョンウォンが8月に撮ったタリム自身の姿なのだ。
タリムの心と視線の中で8月とクリスマスが一瞬のうちに溶け合う。それはまるで光と銀が印画紙上で出会い溶け合うようなものかもしれない。同時に、そのタリムの視線は、かつてタリムを見ていたジョンウォンの視線とも重なりあう(撮影時にレンズを覗くジョンウォンの視線)。タリムは今は亡きジョンウォン(=幽霊となったジョンウォン)をその時、感じ取ったにちがいない。最後のタリムの微笑えみは、やはり小さな〈奇蹟〉なのだ。
(註1)韓国の写真界が活気に溢れるようになってきたのは、映画『シュリ』(1999)をはじめとする韓国映画界が熱くなるよりもざっと十年は早い。一九八○年代後半から九○年代初頭にかけて、日本と同様に大きな写真ブームが到来し大規模な写真展が数多く催される。とくに九一年からはじまった「韓国写真の水平展(十一月展の発展形)」と九三年に建設されたばかりの公立美術館ソウル・アート・センターで開催されたベー・ビョンウの「ソナム(松)展」と「韓国写真の五十年 1945-1994」の意義が大きい(『デジャ-ビュ 1994 No.18飯沢耕太郎レビュー-韓国現代写真のゆくえ』)。出品写真家の中心にいたのが政府の開放政策で海外に留学していた一九五○年代世代で、とりわけベー・ビョンウ、クー・ボンチャン、キム・ジャンソップ、チェ・クァンホらが韓国写真界をリードしていった。映画界の異才たちはその動向や成果を若い頃に自然と取り込んでいたとおもわれる。現在は日本と同様、イー・ソンミンやキム・オクソンら女性写真家たちの活動も目覚ましい。また教育機関においても三○以上の大学、一○校にのぼる大学院に写真学科が設置されており、韓国写真はますます広く深く展開していくとおもわれる。
(註2)キム・グァンソクはしばしば韓国の尾崎豊ともいわれる。一九九六年に三二歳の若さで自ら命を断っているが、386世代からは彼の自由への闘争の歌は懐かしさと同時に絶大な指示を得ている。それは大作『JSA』のサントラに使われたことからも感じえよう。ちなみに386世代とは、三○代で八○年代に大学に通い、六○年代に生まれた世代をいう。
(註3)初来日でのインタビューでタイトルの質問を受け、日常に生きているなかでの悲しみと笑い、といった相反する感情を、そして8月の夏の明るいイメージとクリスマスという冬のイメージの二つの言葉をかけ合わせた時の印象がよかったのでタイトルにつけてみたと語っている。
(註4)『8月のクリスマス』(長崎俊一監督 2005)山崎まさよし、関めぐみ、大倉孝二、戸田菜穂ほか
(註5)長崎俊一監督は、同じシーンの「写真」をカラーにした。そのため時の流れと奥行きが感じられなくなってしまった。ベタな「写真」では観る者の思いが染み込む余地はまったく存在しない。
copyright © 2009 Art Bird Books All rights Reseved. 文:M. Kato / art bird books