Michel Comte ♞ ミシェル・コントを、知る

 

 

ミシェル・コントは、ファッション界のスター・フォトグラファーとしてはかなり珍しく、二つの両極端な世界を常に行き来している。二つの世界とはファッションの世界とウォー・フィールド(戦場)だ。アフガニスタンのカブール、イスラエル、イラク(母がユダヤ人でイラクは敵対国だが、コントはイラクの病院へ行き母の両腕のなかで亡くなっていく子供を撮っている)、そしてボスニアの戦場や危険なエリアへの強行取材は二度、三度ではない。取材というよりも数ヶ月もかけその危険と隣り合わせの場所でその土地の人々や戦士たちと一緒に住んだり食事をしたりするのだ。彼らがどんな人間かを知るために。そしてミシェルの乗った車を襲撃した戦士たちは個人的には心が暖かく個人的に敵対するものは何もない、ことを再認識するのだ。マシンガンをかついだ12歳の子供の兵士は、ミシェルが手にしていたローライフレックス・カメラを見て攻撃してくるのは、まずは動くものは撃てと、訓練されていることと、ローライフレックスなど知らないし見た事もないから危険だと察知することを知った。
このコントのエキセントリックともいえる性格や行動のDNAは、祖父から引き継いでいると本人は語る。祖父はコントの生まれ故郷のスイスで、初めて空を飛んだパイロットで、後にスイスの空軍を創立者にして、スイスの航空会社スイスエアの前身の航空会社を設立もしている。またプロテスタントの父親からはカルビニスティックな勤勉さと倫理感、ジューイッシュでエレガントな母親からは、美しいものや特別なものに対する愛情と美的感性を受け継いでいる。この両親からのDNAが25歳まで、コンテを美術作品を修復する仕事に向かわせていた。コンテは画家イブ・クラインの作品にあの有名な青色を加えたり水ぬれしたアンディ・ウォホールの作品を修復したり、現代美術の修復専門家として大きな成功をすでに収めていた。それは写真家では食べていけないと考えていたからで、修復専門家としてしっかり稼いだ後に、ようやく子供の頃から夢だった写真家になるために踏み出していく。

いったい全体どうやって目映いファッションの世界から目も眩む戦場に飛び込んでいけるのか、という質問にミシェルは次のように答える。「皆がそうした質問をするんだ。生き生きさせてくれるのさ。かつては二つの世界を股にかけた写真家は沢山いた。たとえばエドワード・スタイケンさ。「Steichen at War」という写真集を知ってるか。むかしは写真家は今のように専門分野に振り分けられることもなかった。今じゃ、ファッション・フォトグラファーだ、ビューティー・フォトグラファーだとか、フィーチャー・フォトグラファーだとなるだろ。写真に関する悲劇は、極度の貧困と極度な富みは同じように美的だということだ。だから私はなるべく直接的で正直であろうとつとめてるんだ。

   

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ミシェル・コントがスイスで写真をやりはじめた頃、最初のロールモデルは英国のスター・フォトグラファー、デヴィッド・ベイリーだった。ファッション好きだった母が購読していた「ヴォーグ」をコントはよく見ていてベイリーのファッションフォトに憧れていたのだ。コントは写真をもってスイス・チューリッヒの雑誌社に持ち込んだが、「お前は絶対にフォトグラファーにはなれない!」と追い返された。それが逆にかえってよかったとコンテはいう。なぜなら故郷スイスを離れる決心がついたからだった。そしてコンテはパリに行き、運よくファッション・デザイナーのウンガロが、この自身満々の若者に最初の仕事を与える。それがカール・ラガーフェルドの目にとまり、クロエのコレクションを撮ることになる。さらには「USヴォーグ」が、エキサイティングなコンテの写真を気に入って大きな仕事をさせるといった具合にとんとん拍子に事が弾んでいった。
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