William Klein ♞ ウィリアム・クラインとフェルナン・レジェ

 

 

Back to F.Leger Top
フェルナン・レジェは、1909年には、ピカソ、ブラックらとともに前衛美術運動キュビズム(立体派)の重要なアーティストの1人と目されるが、すでに1907年のサロン・ドートンヌで開催されていたセザンヌの展覧会に影響を受け、自然を円錐や円筒、球としてとらえ「森の裸体」を制作するなど、独自のスタイルを探求し続けていた。その後、ピカビアやジャック・ヴィヨンらと黄金分割(セクシオン・ドール)という前衛グループに参加、またキュビズムが軽視していた明快な色彩を復活させ、太い輪郭線と単純なフォルムを特徴とする独自のスタイルを生み出す。第一次大戦中に兵器の機能美に魅せられ、またチャップリンの映画にも関心をもち、自然の風景よりも現代の機械文明とその中に生きざるをえない人間に関心を移していく。1920年から、ル・コルビジェの建築の壁画を描き続け、舞台美術(ダリウス・ミヨーのバレエ「世界の創造」1923)も担い、翌年1924年には、下のYoutubeの映像「バレエ・メカニック」を制作した。第二次大戦中は米国で活動し、戦後パリに帰国。その数年後にまだ20歳そこそこの若いウィリアム・クラインと会うことになる。レジェは1881年生まれなので、クラインと出会った頃はすでに65歳位で、創作活動としては晩年になっていた。ウィリアム・クラインがコンデ・ナストのアート・ディレクター、アレクサンダー・リバーマンに制作依頼を受けて8年ぶりにニューヨークに戻り、異邦人の眼でニューヨークのストリートをちょうど撮っていた1955年に、74歳に亡くなっている。クラインは、レジェに言われた言葉「    」そのままにストリートに出て***

   

この作品「バレエ・メカニック」には作曲家のジョージ・アンタイルと共に(この時、34歳)も制作に参加。

   

 ♟フェルナン・レジェ:ウィキペディア➤➤ja.wikipedia.org/wiki