Paolo Roversi ♞ パオロ・ロヴェルシの、ラヴェンナ(イタリア)

 

 

♟ロヴェルシが生まれ育ったイタリア・ラヴェンナとは。なるほど! やはり何かが関係してる➤➤ja.wikipedia 
アドリア海と運河でつながり、ヴェネチアとも比較的近いラヴェンナは美しく、また古代遺跡群(初期キリスト教建築物は世界遺産)が多数存在し多くの作家や詩人、アーティストたちを魅了し続けてきた。26歳の時、「Elle」誌のアートデイレクターのピーター・ナップにパリに招かれその後パリに居続けるが、パオロ・ロヴェルシのあの独特な絵画的な雰囲気を漂わせる(カラー写真はどこか中世的なイメージすら感じさせることもある)写真は、故郷ラヴェンナとどこかでつながっているかもしれない。
よく知られている作家や詩人では、まずバイロン。彼はイタリア貴族で人妻の若い伯爵夫人と恋に落ち、1819から1821年までラヴェンナで暮らし『ドン・ジュアン』と『ラヴェンナ日記』をものしている。オスカー・ワイルドは、「 Ravenna」(1878)という詩を書き、ドイツの詩人ヘルマン・ヘッセも、訪ずれたラヴェンナを想い2編の詩を書いた。最大級は、ダンテで政争に敗れてフィレンツェを追放された後、1317年頃からラヴェンナにとどまり、なんとあの『神曲』を完成させている!!! ダンテの墓はラヴェンナの中心街のサン・フランチェスコ聖堂付属の墓地にある。ダンテ・アリギエリ通りにはダンテ博物館もある。

      

上の2つの映像は、サン・ヴィターレ教会
東ローマ帝国支配下に完成(548年)。ユスティニアヌス1世とその皇后テオドラの金色のモザイクが八角形の堂内の後陣を飾る。様式的な初期ビザンティン美術の傑作。

    

                               アドリア海と運河でつながっているラヴェンナの夜景