Garry Winogrand ♞ ゲイリー・ウィノグラント を、知る b.1928~d.1984 

 

 

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ウィノグラントの写真イメージは、当時のフォト・ジャーナリズムと、アッジェらクラシックな写真やウォーカー・エバンスやロバート・フランクらの写真からの影響がある。彼らの写真から、写真のドキュメンタリーな要素と私的な視点(要素)が矛盾なく両立できることを学んだ。とくにロバート・フランクからは、ワイドアングルの可能性や、ハンドカメラのこれまでに前例のないラディカルで自在なフレーミングについて学んでいる。この方法の発見こそ、ウィノグラントが、騒々しいストリートや忙しく行き交う都市の人びとの撮影を可能にしたものだった。ウィノグラントの”決定的瞬間”はカルティエ-ブレッソンのウィットに富み、優雅ないわゆる”決定的瞬間”とは異なり、まさにアメリカ的な’悲喜劇’が容赦なくあらわれていると言われる。

⚈ポール・ゲッティ美術館/カリフォルニア(english)➤➤the getty by paul getty museum 
⚈ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・フォトグラフィー(english)
 ➤➤museum of contemporary photography
⚈ウィキペディア:ゲイリー・ウィノグラント(english)➤➤wiki-wingrand  
⚈プロフォト記事(english)➤➤profotos.com  
⚈「The Year in Pictures」ブログ(english)➤➤pictureyear.blogspot

Garry Winogrant が感動を受け、学んだ写真集 - Influencial Photo Books  

 

ウィノグラントは、これ以外に、若い頃の友人の一人写真家ダン・ウェイナー(Dan Weiner)や、
シド・グロスマン(Sid Grossman)のコニー・アイランドでのスナップショット、
他にSol Libsohn, Arthur Leipzigのニューヨークでのスナップショット・イメージからも
学んでいる。

Garry Winogrant のカメラ- Camera  

最初に使用したカメラは、ローライコード Rolleicord、次いで、コダック Kodak35、グラフレックス Graphlex、
最終的に、ライカ Leicaに。

Garry Winogrant & Robert Frank

おそらく私たちがなんとなく思っているよりもウィノグラントが、ストリート・レベルで撮影しはじめたのは早い。下の写真は2点とも1955年に撮られたもので、もちろんR.フランクはグッゲンハイム奨学金を得て妻と子供とともに全米各地を廻っていた時の1枚(左下)、ウィノグラントも妻とともに初めて米国横断の旅にでた時のもの(右下)。じつはこの2点の写真は同じ十字架をかかげた像(St.Francis)、同じ場所のものである。場所はロサンゼルスのシティ・ホールちかく、サンセットブルーバード沿い。なぜ像かといえば2人ともウォーカー・エバンスの写真集『American Photographs』(1938)の影響下にあったからである。もっとも名作『The Americans』にも入っているR.フランクのこの写真のタイトルは、「St.Francis,Gas Station and City-Hall」(左手後方奥にたつ白っぽい建物がシティホール)でフランクはすでに多次元的にとらえている(写真集でも、この写真の前ページのス写真は「ミシシッピー・リバー、バトン・ルージュ」で川沿いを十字架を手にした黒人が歩いているもの。またこの写真の次のページにはフランクの写真のなかでもあまりにも有名なハイウェイの事故で道路脇にたてられた十字架の写真「Crosses on scene of Highway accident-US91」だ。ちなみにフランクの方が4歳、ウィノグラントより年長。対してウィノグラントは十字架をかかげた像(St.Francis)のみを左側に、右方に十字路で、十字架が向けられたシティーホール(そしてその近くの道路脇につくられたガソリン・スタンド)には目もくれていないようだ。じつは同じ1955年に撮影されてはいるが、ウィノグラントがシリアス・フォトグラファーになろうと真剣に考えて撮影しだしたのは1960で、それまではまださまざまな影響下で勉強中といったところが本当のようだ(後年、トッド・パパジョージへのインタビュー)。同じ現場でもさすがにロバート・フランク、深いパースペクティブをもっていたことが手にとるように分かる。

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      ロバート・フランク           ゲイリー・ウィノグラント