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藤原新也「全東洋写真」(新潮社:フォトミュゼ)より  1970年代〜90年代中頃までにトルコのイスタンブールから日本に至るまでに撮られた写真を再構成・再編集してできあがった本書は、藤原新也の言う”アジア時間”の集大成と位置づけられよう。アジア各地の連続性とアジアに共通して流れる空気や時間が濃密に浮かびあがってくるように感じられるが、その理由の一つにアジアの樹木の姿と緑があるように感じられる。藤原新也が旅したゾーンは北欧やロシア、北米のような針葉樹林帯ではなく、アフリカや中南米のような熱帯ゾーンでもない、温暖な広葉樹ゾーンから亜熱帯にかけての旅がおもだったかからだろう(チベットなど一部は除くが)。光を鈍く照り返す常緑樹とその樹の陰、そしてアジアを流れる水を含んだ湿潤な空気が、藤原新也の写真を露出アンダーで撮られたものと、多くの人に思わせた。藤原新也はそのことについて、一般的な機械的な適正露出の数値への根本的な疑問から、露光装置が計量する数値を視覚面においても心の側面からも信用しないことにしていること、結果、自身がありのままに感じる光とその場所をあらわすために、メカニックな”適正”を修正し、露出を一絞りか二絞り、時に三絞り以上、アンダーにもってゆく必用がある、と本書で語っている(詳しくはぜひ本書を読まれたし)。藤原新也がアジアで感応し、また蘇生を願うアジアにひろがる「薄暮」「薄明」の時間と空気を失わないためには、上の写真のように、水気をいっぱい含んだ樹木の存在が必用にちがいない。